かれこれ25年もこのページにエッセイらしき文章を書かせていただいているワケですが、こうも永く連載していると、何というか、ミョーなジンクスみたいな現象も生まれます。
例えば病気に関することを書くと、自分や身の回りの誰かが病気になったり、友人が亡くなったことを、いかに明るいカンジで書いたとしても、その直後に別の顔見知りの人が亡くなったり、とか。
何を書いてもいいんだよ、という編集の方々からの思いやりに甘えて、毎月、思い付きのふにゃふにゃ文章を書かせて頂いておりますが、そのジンクスを考えて、なるべく明るくバカバカしいことを書くようにしています。
さて、先月の8月号、8月1日発行の稿で、僕は竹輪と目が合うといった、いつもの脱力エッセイを皆様にお見せしてしまいましたが、今読み返してみると、その文章の半分近くが、竹輪のことより、僕と冷蔵庫、という内容になってしまっています。
今、これを書いているのは8月2日です。
今日、冷蔵庫が壊れました。この殺人的な猛暑の中。朝、冷凍庫の中の氷が全部溶けているシーンを目の当たりにして、愕然とした、というか咄嗟に恐怖感に襲われました。
僕は、冷蔵庫の中に常に氷が大量ストックされていないと生きていけないという、氷中毒、氷依存症、氷フェチでして、と書き出すと、また、氷をいかに好きか、という方向にハナシがズルズル逸れそうなのでここで踏み止まることにします。
ちょっと突き放したカンジで本当はラブラブな僕と冷蔵庫の関係に触れた先月のエッセイ、例えば「醤油やケチャップといったシンプルで基本的な最低限の調味料、冷たいお茶、缶ビールが1缶。長ネギが1本と、毎日欠かせない納豆とお豆腐、パスタなどの乾麺類。僕のひとり暮らしの冷蔵庫に収納されているのは、概ねそんなところです。あ、冷凍庫の中には大量の氷も。時には冷凍食品なども冷蔵庫仲間に加わったりしますけど」とか「男のひとり暮らしにしては、ちょっと大きすぎる冷蔵庫の中のレギュラーメンバーはそのようなメンツだけなので、本当にスカスカ、というカンジです」とか「他の食材もそう、使い切れる分しか買わないので、冷蔵庫の中は常に過疎化しています」、「シンプルスカスカ冷蔵庫とタッグを組んだ、ルーズな脱力系の食生活」などといった文章が掲載された翌日に冷蔵庫が壊れる。
久しぶりにイヤなジンクスが襲ってきます。
家電製品の中で生きて行く上で絶対に必要なもののダントツ一位は冷蔵庫です。
テレビやパソコンが無くても、今やスマホでほぼカバーできるし、電子レンジが無いのは困るけど、僕が子どもの頃はなかったモノで、それでも不自由に感じた事はなかったし(というかチンの存在自体を知らなかった)、エアコンもそう、元々無かったモノで、その当時を想えば無くても何とか凌げる。洗濯機だって無いと本当に困るけどさ、昔は洗濯板で洗っていたワケだし今でも売ってるしさ、洗濯板。
そんな連中の中で、食物を保存するという、命の一番近くで働いている家電製品は冷蔵庫です。温める、というのは火さえあればどうにかなるけど、食べ物を冷やすとか冷凍するって絶対に丸腰では出来ないですよ。お風呂上りにつめたーいビールがある、真夏の昼下がりの氷たっぷりの麦茶、たくさん作った料理を小分けにして保存したり、小腹がすいた時、最近とても美味しくなって重宝な冷凍食品。「温める、の前に、冷やす」という事が前提になっている今の食生活、エライな冷蔵庫。
さて、こんな事を書いている間にも壊れているであろう冷蔵庫が気になって、コンセントを抜いてみたり差し直してみたり、エライと思い直している冷蔵庫を蹴飛ばしてみたり、壊れかけの冷蔵庫、の前で、そして僕は途方に暮れる、という状態です。困ったなぁ。
エッセイスト 北園 修
Photo:藤間 久子『Slowly』