ひとり暮らしの僕の部屋に、よっこらしょっと母が訪ねて来ました。ビールだのおつまみ類だのを差し入れてくれるのはありがたいのですが、その日はビミョーに手荷物が多い。
重そうに手に提げてきたスーパーの袋の中には、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、しらたき、そしてお肉が。
そう、肉じゃがの材料です。
今からアンタの部屋のしょぼい台所で肉じゃがを作ってやるぜ!と高らかに宣言する母。
僕は別に世間でいうマザコンというようなことはないのですが、母の身近なファンでして、そのポイントは「字がきれい」、「歌が上手」、そして「料理が旨い」という要素で構成されています。
肉じゃが。おふくろの味ランキングナンバーワン、若いカップルの彼氏が、彼女に作ってもらったら惚れ直しちゃう料理ナンバーワンの、古くから料理名が独り歩きしているブランド、肉じゃが(キタゾノ調べ)。
などと言うてますけど。とあるテレビのバラエティー番組で某大物MCが、「おふくろの味だの、肉じゃが作れる女性はいいお嫁さんになるだのと言ってるけど、だいたい冷静に考えると男ってそんなに肉じゃが好きか?」と笑いながら客席に問いかけている場面がありました。よくよく考えてみると僕も、時々、なんとなーく食べたくなるだけのモノで、これぞおふくろの味だ!とか、肉じゃがを作れる女性サイコー!などとは思ってなくて、とりあえず時々かーちゃんが作る食い物くらいの認識、でも、世間のおふくろの味ランキングでは常にトップクラス。
で、ハナシを唐突に僕の部屋のしょぼい台所に戻します、肉じゃが制作開始。
僕も案外料理好きなので、必要にして最低限の調味料や調理器具は揃えてあるワケです。
ここからはよくある天才外科医が主役のドラマを想像しながら進めていきます、我ながらクダラナイとは思いつつ。
天才調理人の母はすごいスピードで食材にメスを入れていきます。これがドラマなら、現場で見ているスタッフ達が「は、早い」と唸る場面です。その横で天才助手の僕は、彼女の次の行動を的確に予想し、すでにスタンバイしているワケです。
「醤油!」と言われれば、もうその瞬間に母の手には醤油の瓶が渡されている、「よし落し蓋!」と言われた時には、もう、僕の手で落し蓋が乗っている、と、そんなコンビネーション。
母は調理師免許を持ってはいるものの、そうした資格って持っているってだけで料理が上手かどうかには関係が無い。
ただ、母は早いんです、料理のスピードが。
亡くなった父や祖父が酒呑みだったため、スバヤく気の利いたおつまみを作るといった必然性があったり、最近まで独身寮の寮母さんという仕事をしていて、何人分もの食事をひとりでガチで拵えるといった経緯も影響しているのかもしれません。
そうそう、肉じゃがのオペ(?)のシーンにもどりますが。
そろそろ味見をするタイミングであろうと先を読んだ僕は、まるで天才外科医にメスを滑らかにに手渡すように、味見用のスプーンを無言でクールに手渡そうとしたワケです。
すると「味見なんかしなくてもいい!」と「色を見れば味なんて分かる!」と軽い叱責。
いくら僕が料理が得意と言ったところで、やはり瞬息で貫録負け。
ただ、母の弱点は、少しだけ作ろうと思っていても、つい大量に作ってしまうコトかな。
ま、煮込む料理なんかはたくさん作った方が美味しいのは解っていますが、スピーディーに出来上がった、どう考えてもひとりで食べるには多すぎる量の肉じゃがを眺めていると、すかさず「今日は食べないようにね、一晩ゆっくり冷ましたら味が入るからそしたら小分けにして温めながら食べなさいね」という指示。そんな基本的なコト、解ってるわい!と思いつつ、数年ぶりに母と台所に立った一日でした。以前はみんなが集まる日にはいつも母とふたりでキッチンにいたものでしたが。
エッセイスト 北園 修
Photo:藤間 久子『Slowly』