2019.04
今年「Y160」は「ローズ」をメインテーマににぎわいを創出し、おもてなしいたします。
横浜セントラルタウンフェスティバル「Y160」実行委員長
北村 宏 氏
Profile
1947年10月17日生まれ。株式会社キタムラ 5代目代表取締役社長
今年も横浜セントラルタウンフェスティバルが近づいてきました。Y151としてスタートし、10年目の今年はY160となりますが、そもそものスタートはどのような経緯だったのでしょうか。
2009年に横浜開港150周年の記念行事として開港・開港博Y150が開かれました。私は横浜の街づくりや活性化の運営組織やイベント開催などに多く携わってきましたが、こういうイベントは節目の年だけやってお終いではなく、継続こそが必要だと思っていました。そういう思いを抱いている仲間が周りにいて、たとえば亡くなってしまいましたがホテルニューグランドの原さんや横浜スタジアムの社長だった鶴岡さん、それに中華街謝甜記の謝さん、リストの北見さんたちと話をしているときに「継続的に多くのお客さまを迎え入れるイベントを、自分たち民間の力を集めてつくろう!」と話がまとまりました。そして翌年からY151としてスタートしたのです。
準備のためにすぐに行動に移されたのですか。
「横浜セントラルタウンフェスティバル」と銘打っているように、横浜の中心の街を集結させようと、元町、山手、中華街、山下公園通り、関内、馬車道という街に声をかけました。今まで連携したことがあまりなかったので初めはまとまるのに苦労もしましたが、最終的には一致団結して開港記念イベントとして立ち上げたのです。
6つの街で、というのはやはり規模的なものから考えたのでしょうか。
そうですね。横浜には色々な記念行事やイベントがありますよね。それはそれで素晴らしいけれど、同じ時期に催しを集中させると影響力、発信力そして集客力も違う。それに、当事者同士が一つのテーブルで話をすると物事の決断が早い。その場で即決するんですよ。「あれをやろう」「これをやろう」とポンポンと決まっていく。ちょっと話はズレますが7年前に「関内・関外地区活性化協議会」という、エリア活性化の団体が設立され私が協議会会長を務めています。こちらも関連する16団体が集まるわけですが、やはり話が早い。ひと昔前なら収集がつかないような取り組みが、すんなり決まっていく。10年先のことまで決まっているんですよ。だからまとまってやる、というのは大事なんです。
これまでを振り返って、多くのエピソードがあると思いますが、昨年のY159は1ヵ月間の長期間開催でしたね。
そう、毎年2、3日では短いなと思っていたのですが、昨年は横浜開港月間(5月3日 - 6月2日)の中心イベントとして盛り上がりました。200万人以上のお客さまがいらしたので大成功でしょう。私はこの横浜セントラルタウンフェスティバルを軸に、5月に多くのイベントを集中させて統一感をもって展開していきたいと思っています。昨年のように「横浜開港祭」「ザ・よこはまパレード」をはじめ「世界トライアスロンシリーズ」などもこの5月にもってきた。まだ構想ですが今後、横浜市民マラソンや日本オープンゴルフも同時期開催にもっていけないか考えているんですよ。
そうなると5月の横浜はさらに大きな賑わいをみせますね。さて、今年、節目の年になる「Y160」についてご紹介ください。
節目の今年は「ローズ」をメインテーマに掲げました。ローズは横浜市の市花であり、横浜の創造的なシンボルです。さらに開港記念日である6月2日は日本記念日協会によって「ローズの日」と認定されています。立ち上げからの共通の思いである「慈愛」がローズの花言葉である「愛」と重なって、いっそうスペシャルなイベントになると思います。
どのような催し物を予定されているのでしょうか。
現段階ではまだ詳細をお話しできないのですが、ホームページでご案内しているダンスステージや絵画コンテストのほか、女優の五代路子さんに赤い靴のイベントに参加していただいたり、東京オリンピックで正式種目になるスケートボードの世界大会を開いたり、今年も多種多彩な催しをご用意したいと思います。イベント内容は今後随時ホームページで発表していきますのでぜひご覧ください。
横浜セントラルタウンフェスティバルの今後の展開、構想について聞かせてください。
Y151のときからY200までは続けていくことを内外に発表してきていますから、それを考えるとまだ歩みは10年です。街づくりは一朝一夕でなるものではないので、1年、1年積み重ねていくことだと思います。以前から「今年できないことは来年すればいい」って、感じでやってきましたから(笑)。でも来年からは社団法人化します。やはりボランティアでこれだけの規模の行事を運営していくには限界もあります。毎年新しいことに挑戦していくためにも通年事務局をおいてスケールアップして取り組んでいきたい。ここまで成長してきたのはボランティアとして礎を築いてくれた大勢の仲間たちのおかげです。本当に感謝ですね。
北村さんは、アイデアマンですから色々構想があるのではないですか。
昨年、記念列車を石川町、元町・中華街駅発着で運行しましたが、主要電鉄会社からレッドアロー号、ロマンスカー、スーパービュー踊り子号などを一同に揃えたい、という自分の趣味も兼ねた夢はもっていますよ(笑)。やはり先ほども言いましたが、マンネリ、停滞してはダメなんです。常に新しいことを考えて、街おこし、街づくりをしていかないと。私の趣味は街づくりですから。暇があるとどこかに新しいネタはないかと日本中を徘徊しているんです(笑)。
横浜セントラルタウンフェスティバル以外の横浜の街づくりではどんな構想がありますか。
年間通して横浜をライトアップするプランがあります。アメリカ山から山下公園、新港埠頭、赤レンガ、みなとみらい21、横浜駅までを照らします。羽田空港から飛び立つ飛行機からも美しい横浜が眺められ、毎年240隻寄港する客船のお客さまにも横浜をアピールできます。横浜駅東口とアメリカ山を結ぶロープウエーもテストが始まりますよ。また一般道路を一方通行化する計画も具体化するでしょう。自動運転も見据え、安全化のために一方通行は次代の主流になっていくと思います。
横浜の街づくりに多面的に関わっているのですね。それはやはり「横浜愛」ですね。
先進的、魅力的な取り組みで、横浜市がほかの街の見本になればいいと思っています。だからもっとやることはあるし、横浜を売り込まないと。今は横浜にも街づくりを担っていく若い世代が育ってきていて頼もしく思います。私たちの世代は言うだけ言って実行部隊は彼らに任せます(笑)。長年、こういうことに関わっていますが、一番大切なのは仲間です。多くの仲間のおかげで数多くのパイプをもっていること、これが私のかけがえのない財産です。
キタムラ元町本店にて(2月6日取材)
インタビュアー 福井・早坂